タクシー業界の内情

タクシーという交通手段を考察していくと時として、えっこれってタクシーなんだけど業界として考えたら違うんだと、そう感じる人も中にはいるかもしれない。そしてそれらの違いを理解していると、結構面白いと感じることもあるかもしれないものだ。とはいえ、そんなこと知らなくても利用できればなんでもいいんだよという、結果論だけを追求している人には無縁の話かもしれないが、なるべく興味を持って話を聞いてもらいたいところだ。 まず最初に述べておきたいこととしては、タクシーといっても経営形態がそもそも根本的に異なっている場合があるという点だ。知っている人もいるかもしれないが、タクシーには二種類の経営方法が存在している。先ずはそちらを軽く説明しよう。 法人としてのタクシー経営 複数の運転手と乗用車を利用することを商売上の経営として許可を受けたもの、いわゆる企業として設立している。 個人としてのタクシー経営 運転手自身がタクシーを所有しており、そしてタクシー車両も一台のみで行う経営スタイルもある。 これら2つの違いを見極める方法としては、乗用車の屋根部分に取り付けられている会社ごとに識別することが出来る看板みたいなもので、そのタクシーが企業のものなのか、個人のものなのかを判別することが出来る。 個人タクシーといわれると人によっては馴染みのないものだと感じる人もいるかもしれない、しかし筆者として何故かある意味で親しみがある。それは大学に通っていた頃のことなのだが、その時大学後者横に隣接していた民家の1つに個人タクシーを所有していたのだ。とは言っても、入学した当初は毎日登校していたが、その車がないという状況を見た事は一度もなかった、個人経営となっているので自由なのかもしれないが閑古鳥が鳴いているのをまざまざと見せ付けられているような気になったので、少し切なくなるという感情に苛まれたものだ。 しかし個人タクシーとは言っても、実は経営を認められるのはいくつか条件が必要となる。それは『10年間のタクシー、またはバス運転手としての経験があること』・『10年間、無事故であること』、という縛りが存在しているのだ。つまり、将来的に個人タクシーを行いたいと考えている場合には、経験と無事故という経歴を所持していなければ利用することができないのだ。人命を預かる仕事なので、当然といったところだろう。こうした条件が存在していることもある中で、日本のタクシー業界としては全体の3割という数字は保っているという。結構勤勉な人が多く、日本人らしい真面目な性格だからこその数字ともいえる。 法人タクシーと個人タクシーというものの他に、実は意外とタクシーも中々に奥が深い部分が存在しているので、ここではそんな点について少し話を掘り下げていこう。 Hey! Taxi! タクシーとハイヤーは別物 タクシーと言うと、それってハイヤーだろうという人がいるかもしれません、そしてその言葉に対してあれっどっちなんだろうと疑問に思ってしまう人もいるかもしれない。簡単に言えば、別物だと断言できる。ではタクシーとハイヤーとはどういったところで異なっているのかについてだが、それは車にある。 タクシーの場合、それぞれの企業が縄張りとしているロータリーなどで顧客を拾うことによって目的地へと走行し、そしてそのタクシーである乗用車の所有権は企業そのものが保有している。一方のハイヤーは車そのものを借りている人が存在しており、その人だけを乗せて運転手が同伴して目的地へと輸送して行く事になる。これからも分かるとおり、車そのものを借りている人がいるかどうかによって、タクシーかハイヤーかを見分けることが出来る。

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便利だけど、運転手だって辛いんです

現代社会には運搬用の交通手段は様々である、毎日紛れ込みたくもない人ごみにもみくちゃにされながら自分の場所を確保するため、常に戦争状態を継続する電車、ちょっと近場まで出かける時に便利だけど、意外と使用していると健康に最適とも言われている自転車、そしてもはや誰もが運転するために所持している免許、でも実は持っているだけで身分証明書として利用しているだけという人もいる車、他にもバイクや人力車、馬にイルカに水牛に船などなど、数えて行ったら切りがない。あっそういえばらくだもいましたね、日本ではまずないですが、今でも砂漠地帯が存在している中東や南アフリカを始めとした地域では、貴重な運搬手段だろう。まぁ日本だけに焦点を絞って話を進めたら、馬やら牛やらが交通手段として利用されていたら、結構迷惑になる。それでも古代の日本ではそこかしこで馬やらが大地を自由に駆け回っていたというのだから、それも驚きだ。この日本にもそんな時代があったんだなぁと思いながら、それでも便利になってよかったなぁと思うところだ。しかし、現代の交通手段である車や電車やらも結構ナーバスではある。機械技術の誕生によって人力では引き出すことの出来なかった速度で走行する事が可能になったことで、長距離でも体力こそある程度消耗することになるが、移動がたやすくなった。だがその代わり、機械は何千という精密な部品で構成されているため、そのどれもが非常に重要なものとなっている。壊れた歯車が1つあるだけで動かなくなる時計のように、かなり神経質な性格をしている。労わりながらも、中々に過激な扱いをしている現代人だが、その中でも特に酷使されているのは車と電車だ。 電車や車そのものもそうだが、それを運転する人間も結構なストレスを受ける事がある。特に電車は自国どおりに走行しなければならない制約を抱えていることもあり、少しでも遅延しようものならお客様からありがたくない啓示を受ける、つまり苦情というものだ。悲しいことだが、この日本においてもそうだが世界規模でもはや電車の存在はなくてはならないのとなっている。しかし予期せぬ事態に巻き込まれることもある、人身事故などの展開になると電車の運転は一気に停止して、何万人という規模の人々に影響を及ぼすことになる。そうなると困った方達は一斉にバスやらの次なる手段を用いることになる。 そうした中で、今回はタクシーというお客様サービスをしている交通手段について考察してみることにする。タクシーの歴史を垣間見ることによって、何が見えるのか、そこらへんも通しながら話をしていこう。 時間を気にしなくて良い、けど何か気を使うのは何故だろう? タクシーというものは何なのか、ということについて議論してみろといわれると結構困るのは筆者だけではないだろう。タクシーはタクシーなんだから、それ以上でもそれ以下でもないだろうという意見にいたる人がほとんどかも知れない。事実、一般的な定義としては次のように述べられてもいる。 タクシーとは少人数の旅客を輸送するための運送手段、乗客の目的地へと運搬する事によってそれを業務となっている。 物凄く妥当であり、そして何とも誰もが理解出来る内容だろう。間違いなどない、ないと言い切りたいところだが最近のタクシー運転手を取り巻く環境としては、あまりよろしくないというのが業界の現状だ。 日本人というものは何故か人に対して非常に気を使う、そしてそれはタクシーに乗車しているときなども気にしたりする人もいるだろう。気質によりけりな部分があるのかもしれない、だがタクシーという車内でひたすら運転手と自分という、他人同士が密室に閉じ込められている空間をどう思うかだ。人によって息苦しく、何とかして会話を繋げたいと感じる人もいるのではないだろうか。だが初めて会った人と会話が弾むというのも中々難しいところだろう、運転手の場合は仕事をしているのであくまで業務の延長線上でしかないが、お客の中にはただ黙って目的地につくまで待たなければならない、一刻一刻と続いていく時間に耐え続けなければならない。どちらともがそこまで話す事もなく、そして静寂に対して抵抗感を抱いていないのであれば、それはある意味では快適且つ仕事をしている相手に対して邪魔をしないというのもいいだろう。 でもそういう場合だけではないので、中々辛いところだ。運転手にしても、お客のプライバシーにズカズカと立ち入ってしまうような人がいるかもしれない。また客としても運転手に対して横柄な態度を取っている人もいる、それこそ自分を神の崇め奉る事は常識だぞといわんばかりの人もいる。いつから貴様みたいな平凡な人民が神話に讃えられる神になったんだと、正直言ってやりたい、神の裁きを受けて最下層の地獄へと突き落とされてしまえば良いと思ってしまうところだ。客商売をしている人にはそんな、正直どうなんだろうと思うお客に対して殺意を持ったことがある人もいるだろう。ちなみに、筆者もいくらか殺意を持った事はあるものの、ある程度時間と共に経験を積み重ねていく中で、こういうマイナス面を押し出すような人間にはならないでおこうと反面教師的な部分を教えてくれると、そんな風に思うことにしたものだ。 飲食店などをそれなりに経験している筆者だが、タクシー業界に携わっている人に話を聞くとお客に対してはかなり慎重に扱わなければならない、といった業務過重が追加されている。あくまで一例なのだが、タクシー運転手として行わなければならないサービスというものがあるという。それはどのお客に対してもそうで、聞いているだけで心の負担が重くなっていきそうだ。 タクシー運転手のこんなサービス内容 1:乗客の荷物を運び入れる事は、もはや常識 2:乗り込んできた乗客には、顔を後部座席に向けて挨拶する 3:話をする際には、はきはきと喋る 当たり前といえば当たり前だろうと感じる人もいるだろうが、これを自分が日々の仕事として行っていくとなったら結構辛いところだ。仕事とはいえ、される側の中には当然と考え込んでいる人もいることを含めると、本当にそれでいいのだろうかと思ってしまう。今はお客からの苦情1つでも神経質になってしまうのが企業の体質として凝り固まってしまっているように思える、確かにそうなのかもしれない。だがあまりにも理不尽なことを要求してくるお客の言い分を全面的に飲み込んでしまって従業員が首を絞められることもあるので、それだけは何とかして欲しいところだ。いつの時代、そしてどの業界においても顧客との付き合いの中には常軌を逸しているようなものもあるので、本当に面白いと感じるところだ。

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